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最近、駆除をしている漁港にゴミが目立つようになってきました。
太いラインやそのパッケージ、針、ちぎれたワーム。その横には空き缶やペットボトル。すべてとは言いませんが、その多くはバス釣りに来た者が残していったものでしょう。このホームページを見てその場に出かけた者がおり、それがゴミの増加につながったのならば、たいへん遺憾なことです。
捨てられたラインが鳥に絡む、鳥やネコに針が刺さる、フロロカーボンを分解できるバクテリアは存在しない、一部製品の材料にが毒性がある。なぜゴミを捨ててはいけないかについて、しばしばこういった理由が語られます。しかし、ゴミを捨てるな、と言うのに説明が必要であること自体おかしなことです。ゴミを放置して平気で帰るそのこころに問題があると、私は思います。
私が子供の時には、山や川を汚すとバチがあたる、と躾られました。学生時代に登山や沢登りを始めた時には、来た時よりもきれいにして帰ることを教わりました。ゴミを持ち帰るのはもちろんのこと、米は研がずに炊く、使った食器は洗わずにそれでお茶や水を飲み、トイレットペーパーでぬぐってそれも持ち帰る。もちろん、人が入りこむという行為そのものによって自然を傷つけることは防げません。しかしできるだけ跡を残さないようにするこころがまえを持っていました。
古来より人は、様々な恵みを与えてくれる自然に対し畏敬の念を抱いてきました。それにより、乱獲や汚染が抑えられ、恵みが保たれてきました。その精神は、自然がレクリエーション資源としても活用されるようになり、生物多様性の持続的活用がキーワードとなった現代でも通じるものだと思います。
アメリカにおけるブラックバスのキャッチ&リリースは、故郷を代表する生き物であり、レクリエーション(フィッシング)や食料としての資源でもあるこの魚を、大切にまもり持続的に活用するために行われているものです。そこには当然、釣り場をゴミで汚さないということも、同じ理由から行われているはずです。それが、アメリカにおけるバスフィッシングの精神なのでしょう。
それが日本ではどうか。外来魚であるブラックバスがなぜ日本にこれだけいるのか、この国でのフィッシングはどうあるべきか、そういうことを考えずに、キャッチ&リリースするのが(アメリカでは)決まりだからと、ただそれに従う。日本のバスフィッシングの多くが、精神などない浅薄な模倣、うわべだけのファッションにすぎないということが、釣り場におけるゴミの放置につながっていると思います。精神の伴わない行為は、流行することはあっても長くは続かないでしょう。そんな一過性の流行り遊びのために自然が汚されることは、あってはなりません。
コンクリートで固められた湖岸は、純粋な自然とは呼べないかもしれません。しかしそんな岸辺にも、たくさんの生き物が暮らしています。なにより、多くの人にとって自然と接することのできる身近な場となっています。この定例駆除報告にも、琵琶湖に暮らすたくさんの生き物の様子が紹介されています。生き物や自然と人との関わりが考察されています。残念ながら多くのバサー達には、バス以外の生き物は見えていないのでしょう。釣っている魚自体、人が放ったものですから、琵琶湖を釣堀とでも思っているのでしょう。だから平気でゴミを放置する、魚をリリースし続ける。我々は、顎に針を掛けた時についた傷のあるバスをたくさん釣り上げてきました。中にはまだ血のにじんでいるものや、折れた針のついたものもいました。彼等が逃がした魚は我々が駆除しています。せめてゴミくらいは持ち帰ってほしいと思うのですが、'こころない'バサー達にそれを期待するのは無理なのでしょうか。
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